最高裁判所第一小法廷 平成4年(オ)735号 判決 1995年11月09日
上告人
甲野太郎
右法定代理人後見人
甲野春子
右訴訟代理人弁護士
新垣勉
被上告人
亡乙山一郎訴訟承継人兼本人
乙山二郎
同
同
乙山三郎
同
亡乙山一郎訴訟承継人
乙山夏子
同
同
乙山秋子
同
同
丙川冬子
同
同
乙山四郎
右六名訴訟代理人弁護士
國吉眞功
主文
原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。
那覇地方裁判所沖縄支部昭和六三年(ワ)第二九八号損害賠償請求事件について、同裁判所が平成元年四月二五日言い渡した判決を取り消し、右事件の訴えを却下する。
訴訟の総費用中、前項記載の事件に係る費用は甲野春子(沖縄県沖縄市諸見里<番地略>)の負担とし、その余は上告人の負担とする。
理由
上告代理人新垣勉の上告理由第一について
一 本件は、那覇地方裁判所沖縄支部昭和六三年(ワ)第二九八号損害賠償請求事件(以下「前訴」という。)につき、同裁判所が平成元年四月二五日に言い渡した判決(以下「前訴判決」という。)に民訴法四二〇条一項三号の事由があるとして申し立てられた再審事件である。
記録によると、本件訴訟の経過等は次のとおりである。
1(一) 前訴は、昭和六三年一一月二八日、上告人を原告とし、被上告人乙山二郎、同乙山三郎及び承継前被上告人亡乙山一郎の三名(以下「被上告人ら」という。)を被告として提起されたものであるところ、その内容は、「上告人は、昭和五三年一二月四日午後一〇時ころ、被上告人らから暴行を受け、頭部裂傷などの傷害を受けるとともに、その後遺症として精神分裂病の状態に陥った」として、民法七〇九条に基づき、治療費、慰謝料の合計三一三七万三一二〇円とこれに対する遅延損害金の支払を求めるものである。
(二) 那覇地方裁判所沖縄支部は、平成元年四月二五日、前訴につき、当該損害賠償請求権は既に時効により消滅しているとの理由で上告人の請求を棄却する旨の前訴判決を言い渡し、この判決には控訴の提起がなく、同年五月九日の経過により確定した。
2(一) 上告人は、昭和五四年ころから自閉、無為、徘徊、被害妄想、幻聴などの症状を呈するようになり、同年、精神分裂病と診断されて精神科の病院に入院し、以後入退院を繰り返しているものの現在まで症状は改善していない。
(二) そのため、上告人の実姉である甲野春子(以下「春子」という。)は、弁護士に依頼して訴状を作成してもらい、春子自身がその訴状に上告人の名を署名し、押印して、上告人のために前訴を提起した。この訴訟には、途中から池田光政弁護士が上告人の訴訟代理人として関与するようになったが、同弁護士に訴訟の追行を委任したのは春子であり、同弁護士は一度も上告人と面接しなかった。
なお、前訴以前にも、昭和五六年には上告人名で被上告人らを相手に調停が申し立てられ、これが不調になると、翌五七年には被上告人らに対して前訴と内容を同じくする訴訟が提起されたが(この訴訟は、上告人が口頭弁論期日に出頭しなかったため休止となり、そのまま訴えの取下げが擬制されて終了した。)、この調停の申立て及び訴えの提起は、春子が他の家族とも相談した上で上告人のために弁護士に委任して行ったものであり、上告人は、当時調停等の意味を理解できる精神状態にはなかった。
3(一) 前訴判決の言渡し後、春子は、控訴をしようと考え、本件の訴訟代理人である新垣勉弁護士に相談した際、同弁護士から、上告人について禁治産宣告を受け、上告人の後見人に就職した上で訴訟委任をするよう指示された。
(二) そこで、春子は、那覇家庭裁判所沖縄支部に上告人の禁治産宣告及び後見人選任の申立てを行い(同裁判所平成二年(家)第一三二号、第一三三号事件)、平成二年五月二二日、同裁判所は、上告人を禁治産者とし、春子を上告人の後見人とする旨の審判をし、春子が上告人の後見人に就職した。
(三) 春子は、同年五月二九日、上告人の後見人として新垣弁護士に本件再審の提起、追行を委任し、同日、本件訴訟が提起された。
二 原審は、右事実関係の下で、前訴の訴え提起及びその後の池田弁護士に対する訴訟委任は、いずれも春子が上告人のために行った無権代理行為であるとしながら、次の理由により、本件再審の訴えを却下すべきものとした。
春子は、上告人が禁治産宣告を受けて後見人に就職する以前においても、上告人が精神分裂病の諸症状を呈するようになって以来約一〇年もの長期間、事実上後見人の立場で上告人の面倒を見てきたものであり、この間には、家族と相談の上で上告人のため、被上告人らを相手に前訴と同内容の調停を申し立てたり、二度にわたって訴えを提起したりしていること、しかも、このような春子の態度について家族の他の者が異議を差し挟んでいたとか、春子と上告人とが利害の相反する状況にあった等の事情は全く見当たらないこと、被上告人らは、二度にわたる訴えに対し、その都度弁護士に依頼して応訴してきたこと等の事情の下では、春子が後見人に就職し、法定代理人の資格を取得した以上、それ以前に上告人のためにした自己の無権代理行為の効力を否定することは、被上告人らとの関係において訴訟上の信義則に著しく反し許されない。したがって、春子がした前訴の訴え提起行為及び池田弁護士への訴訟委任行為の効力は、春子が後見人に就職するとともに上告人に有効に帰属したものというべきである。
三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
前示の事実関係によれば、前訴の訴え提起及び弁護士への訴訟委任は、何らの権限のない春子が上告人のために行った無権代理行為であり、上告人本人は、春子がこのような行為をするについて何ら関与するところがなかったのであるから、前訴の提起及び弁護士への訴訟委任は本来その効力を生じ得ないものといわなければならず、たとえ原判決挙示のような事情があったとしても、その説示するように、前訴における春子の訴訟行為がその後見人就職とともに有効となるとすることはできない。けだし、訴訟行為は、私人である当事者の行為であっても、裁判所が公権的に法律関係を確定するために行う審理裁判の基礎を構成するものであり、民事訴訟法が、無権代理人の訴訟行為が効力を生じる場合として、追認がされた場合のみを明文で規定している趣旨に照らせば(同法五四条参照)、訴訟行為をした無権代理人が本人の後見人に就職したからといって、もともと私的権利義務関係の調整に係る法理である信義則をそのまま用いて、追認がされた場合と同じく有効となるとすることは相当でないからである。また、家庭裁判所の審判によって選任された後見人は、禁治産者の正当な利益を図るべき公的な責務を有しているのであり、家庭裁判所の審判により上告人の後見人に就職した春子において前訴の訴訟行為の無効を主張してした本件再審の訴えの提起は、後見人としてのこのような責務に基づく所為であることも看過されてはならない事柄である。
これと異なる見解に立って本件再審請求を排斥すべきものとした原審の判断には、民訴法四二〇条一項三号の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れず、一審判決は取り消されるべきである。そして前示したところによれば、前訴の訴え提起及び弁護士への訴訟委任は春子の無権代理行為によるものであるから、前訴判決には、民訴法四二〇条一項三号の再審事由があることが明らかであって、前訴判決は取り消されるべきであり、前訴の訴え提起が無権代理行為によるものである以上、前訴の訴えは不適法として却下されるべきものである。上告人は、前訴の訴え提起行為のみは追認するとして、前訴手続のやり直しを求めているが、無権代理人がした訴訟行為の追認は、ある審級における手続が既に終了した後においては、その審級における訴訟行為を一体として不可分的にすべきものであり、一部の訴訟行為のみを選択して追認することは許されないと解すべきであるから(最高裁昭和五四年(オ)第八七九号同五五年九月二六日第二小法廷判決・裁判集民事一三〇号三九三頁参照)、前訴の訴え提起行為のみを追認することは許されない。
よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九九条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官遠藤光男 裁判官小野幹雄 裁判官三好達 裁判官高橋久子)
上告代理人新垣勉の上告理由
第一 判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背
一 個人責任の原則違背
1 原判決は、後見人が、後見人就任前に禁治産者のためになした無権代理行為の効力を否定するのは、訴訟上の信義則に著しく反し許されないと判示する。
2 しかし右判断は、法令の適用を誤ったものである。
すなわち、後見人の行為が否定されることにより、その法的効果を受けるのは、後見人ではなく被後見人そのものである。
原判決は、法的効果が帰属する被後見人自身の行為を理由として、後見人の行為の効力を否定するのではなく、後見人の就任前の行為を理由として後見人の行為を否認する点にその特長が存する。
これは、被後見人の責任によらない事由により、被後見人への法的不利益を課すものであり、個人責任の原則から到底容認し得ないものである。
3 ちなみに一審判決及び原審判決は、最高裁平成三年三月二二日小法廷判決(昭和六三年オ第九二四号)に影響されたものと推測されるが、同事件は、本件事件と全く事案を異にするものである。
右事件は、二つの重要な事実を前提にしている。
一つは、「上告人につき後見が開始した当時、後見人は一人でなければならないことが看過されていなければ、両者のうちいずれかが後見人に選任されたものというべきところ、本件売買契約により前記のとおり本件各土地の抵当権の負担が消滅し、その他T及びS子の両名が後見人として関与したことにより、上告人の利益がそこなわれたわけではな(い)」という点。
二つは、「上告人も成人に達した後において、右両名が上告人の財産を管理してきたことを事実上承認していたというべきであり、しかも本件売買契約の無効を問題としたこともなかった」という点である。
右一点目の判断は、後見人の行為の客観的評価に関するものである。すなわち後見人の行為が客観的に被後見人に不利益を与えるものでないことを、被後見人に不利益を帰責させるための重要な要素としたものである(以下、客観的帰責事由という)。
4 ところで、本件についていうと、右客観的帰責事由は存するといえるかもしれない。なぜなら上告人の姉春子が、上告人のために損害賠償の請求の訴訟を提起することは、上告人の利益のためであり上告人に不利益を与えるものではないと評される側面を有しているからである。
例えば、姉春子の無権代理行為により、訴訟において勝訴すれば当然後見事由が解消したとき、上告人が姉春子の無権代理行為を追認すると思われるからである(ただし、敗訴の場合の問題が残る)。
しかし、前記主観的帰責事由については前記最高裁事件と異なり、本件では、上告人に全く主観的帰責事由は存しないものである。
原判決は、そうであるにもかかわらず客観的事由が存するということを唯一の理由として、被後見人への帰責を是認した。
これは明らかに近代私法の基本原則である個人責任の原則に反するものであり、法令適用の判断を誤ったものと批判せざるを得ない。
二 後見人の義務についての判断の誤り
1 民法第八五九条一項により「後見人は、被後見人の財産を管理し、又その財産に関する法律行為について被後見人を代表する」ものとされる。
右規定は、単に財産管理権や代表権を認めたものではなく、財産管理義務・代表義務を課したところにその本質が存するものである。
従って後見人は、被後見人のために「財産を管理し、又その財産に関する法律行為について被後見人を代表する」義務を負うものであるから、同義務の履行としてなされる後見人の法律行為、訴訟行為は、何ら不当と批判されるものではない。
2 仮に後見人が、後見人就任前に被後見人の不利益になるような法律行為、訴訟行為を行なっていたとしても、後見人に就任後、後見人の義務の履行として就任前の自己無権代理行為を否認したとしても、同否認行為には何ら批判される理由は存しないものである。それは、当該後見人が自己の利益のために行なったものではないからである。このことは仮に他の後見人が就任していても、同じように無権代理行為の否認がなされることを考えると、特定の者が後見人に就任したことにより生じた個別的事由でないことが客観的に明らかであるからである。信義則違反は、当該後見人の個人的事由から、後見人としての権利行使を行なった場合に初めて生ずるものというべきである。
3 原判決は、後見人春子が就任前の自己の無権代理行為を否認した行為が、後見人春子の個人的事由によるものと判断している点においても、後見人の地位、法的義務についての解釈を誤ったものと批判せざるを得ない。
三 信義則違反として効力を否認される範囲についての判断の誤り
1 仮に、後見人春子が、就任前の自己の無権代理行為を信義則上否認できないとしても、その範囲は、既に行なわれた無権代理行為の限度にとどまると解すべきものであり、その結果、無権代理人が行なった法律行為又は訴訟行為が法的に是認されるというだけのことである。
本件においては、訴訟代理人池田光政氏は、控訴行為を行なっていないものである。
従って、無権訴訟代理人が行なった訴訟行為の効力を否認できないということは言えるとしても、いまだ無権訴訟代理人が行なっていない行為の効力を否認することは、信義則違反を理由とする否認の範囲を越えるものというべきである。原判決にはこの点での判断の誤りが存する。
2 信義則違反を理由として、上告人又は後見人が否認しえないのは、無権訴訟代理人池田光政氏が、裁判所から判決の送達を受けたこと、すなわち就任前の姉春子の無権代理行為を否認できないため、無権代理人春子によって訴訟代理人として弁護士池田光政が選任されたこと及び同訴訟代理人がおこなった訴訟行為(判決の送達受領行為を含めて)を容認せざるを得ないというにすぎない。
ところが原判決は「春子は、池田弁護士に控訴の申立てをも特別授権していたことがみとめられるから、これも信義則上その効力を争うことができない以上、訴訟代理人が上訴の権限を有している場合には訴訟手続きは中断しないから控訴期間は進行する」と判示している。
しかし右判示には、論理の飛躍がある。
「無権代理人の行為を否認できない」ということと「無権代理人の行為は有効である」ということとは、同一ではない。
前者は、無権代理人が行なった法律行為又は訴訟行為の効力を否定できないということを意味し、本件においては判決送達の効力を否認し得ないという限度にとどまるものである。
右判決送達時、上告人は意思無能力者であり、且つ姉春子も訴訟代理人池田光政氏も無権代理人であったものであるから、その時点で訴訟は、中断したと解すべきである。
民事訴訟法第二一三条は、有権訴訟代理人の場合に適用されるものであり無権訴訟代理人に適用されるものではない。
無権訴訟代理人について右規定を適用するのは、同条の解釈を誤ったものと言わざるを得ない。
信義則違反による主張の制限の範囲は、信義則の観点から定めるべきものであり、その範囲は現に行なわれた無権代理人の行為の範囲に限定すべきであり、無権代理人がいまだ行なっていない行為にまで拡張すべきものではない。
四 本件の真の争点
1 上告人の真の意図は、再三主張しているように、一審の訴訟行為を否認するところに狙いがあるのではない。後見人たる姉春子が被後見人たる上告人のためにおこなった訴訟提起行為は、十分に感謝すべきものと考えている。問題は、姉春子が一審判決送達後に、控訴を提起しようとした際に、初めて無権代理人としての控訴行為を提起することが法的に問題を持ったことを指摘されて、法律にのっとって禁治産宣告の手続きをとったところにある。
この姉春子の行為は、それまでの不適法な行為を是正するものであり、ほめられこそすれ、非難されるべきものではない。
2 原判決は、右のような場合に、無権代理人のまま控訴手続きをとることをすすめるものであろうか。
そうでないとしたら、姉春子が禁治産宣告手続きをなして、後見人に就任して、上告人のために裁判を受ける権利(正確には一審判決に不服があるときに控訴して争う権利)を行使することは、法的に保障されなければならない。
このような場合、客観的には当然控訴期間を経過しているものであるから、被後見人たる上告人は、再審という手続きにて一審判決に対して控訴して争う利益を守られなければならない。
原判決は、このような法的保護を否認するものであり、結果において訴訟上の正義を否定するものとなっている。
すみやかな救済を希望するものである。
第二 判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認ないしは審理不尽
1 原判決は、一審訴訟代理人池田光政氏が、控訴について特別の授権を受けていた旨事実認定している。
しかし、確かに訴訟委任状に特別授権事項として「控訴の件」が記載されていることは事実であるが、同記載は委任状用紙の定型文書であり、現実には池田光政氏は、控訴についての特別授権を受けていなかったものである。
この点については明白な事実誤認又は審理不尽が存する。
2 仮に、池田光政氏が控訴について特別授権を受けていたとしても、同氏は判決送達後、解任されており、控訴の権限を有していなかったものである。
このことは、判決直後、無権代理人春子が池田光政氏より一件記録の返却を受け、弁護士新垣勉に控訴の依頼に来ていることから明らかである。
従って、仮に池田光政氏が無権代理人に就任中は原判決の指摘のように訴訟中断が生じないとしても、無権代理人春子が池田光政氏を解任したことにより、訴訟中断が生じたというべきものである。
この点においても原判決には重大な事実誤認ないし審理不尽が存する。